ギリヤーク尼ヶ崎氏 祈りの踊り 令和元年函館公演
特に40代以上の函館市民にギリヤークと言えば、それは舞踊家のギリヤーク尼ヶ崎氏を指す。実際に彼を見たことのあるなしを問わず新聞の地方欄などでもお目にかかる人物だ。ちなみにギリヤークとは現在は二ヴフと呼ばれている北方民族でサハリンやアムール川河口周辺に居住している。今回は、私のつたない文章で彼の公演の様子を伝えたい。
函館としては強い日差しの照り付ける8月24日の午後1時から大門グリーンプラザにおいて彼の野外公演「祈りの踊り」が催された。開演20分前には、既に10メートルくらいの円ができていて、そのまわりに人垣ができていた。1時の時点で、その輪の取り巻きは5重ほどになっていた。
女性司会者が話し始め、5分くらい経って彼が車いすに乗って登場した。その司会者が彼に化粧を施し、舞台衣装に着替えさせる。輪の内側では、カメラを構えた報道関係と思わしき人たちが写真を撮っている。
彼がマイクで何事かを言い始めるが、その内容はさっぱり聞き取れない。そのような支度から30分、やっと高橋竹山二世の弾く津軽三味線の音色とともに大道芸が開始された。私は輪の一番外側で人々の隙間からようやく彼の姿が見えるだけだ。
垣間見るに彼は杖を突き、ようやく歩いている。観衆は割れるばかりの拍手で声援を送っている。それは踊りが巧いとか下手とか言うことではなく、そこに彼がいるということへの称賛である。開演から一時間たっても会場の輪は崩れず、大きくなるでもなく、ずっと大道芸は続けられていた。
故郷での公演が何度あとあるのかと、ある者は、それを口外さえしていた。もうこれが見納めかもしれない。その独特の緊張感が、あの暑さの中で円陣が崩れなかった要因の一つであろう。
輪の中心で人が何事かをしている。その様子を好奇心から見に来た人さえも中心に引き付ける何か。油断をすれば彼に手を引かれてしまうような求心力。それこそが彼が長い芸道の中で培った術の正体だ。
私は遠巻きに異様な同心円の熱気を眺め、涼を求めた木陰で一人そう感じた。
Gumyou
2019_09_03